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卑弥呼の宮殿、最古の旧石器… 古代史ロマンが次々と 09年発掘回顧(産経新聞)

 今年の発掘調査は、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で「卑弥呼の宮殿か」と話題を集めた大型建物跡が出土、箸墓(はしはか)古墳(同市)では築造年代が卑弥呼の没年に近い3世紀中ごろと判明するなど、邪馬台国畿内説が一気にヒートアップした。島根県の砂原遺跡では12万年前の国内最古とみられる旧石器が出土。旧石器捏造(ねつぞう)問題以降タブー視されてきた研究進展に弾みがつくなど、考古学界にとって大きな1年となった。

 「卑弥呼の金印が見つからない限り、所在地論争は永遠に決着しない」ともいわれ、古代史最大の謎を秘めた邪馬台国。しかし、纒向遺跡の発掘調査で、床面積238平方メートルのこの時期としては国内最大規模の建物跡が見つかった。

 邪馬台国九州説の有力候補地である吉野ケ里遺跡(佐賀県)の大型建物跡の156平方メートルを大幅に上回る規模。纒向遺跡の建物跡は東西方向に4棟が一直線に並び、後の飛鳥時代の宮殿を思わせる規則的な配置だったことから、卑弥呼の宮殿説が一気に浮上した。

 箸墓古墳でも注目される成果があった。国立歴史民俗博物館(千葉県)の研究チームが、出土した土器を放射性炭素年代測定法で調べたところ、240~260年ごろの可能性が高いと発表。卑弥呼は248年ごろに死亡したとされ、「卑弥呼の墓であることはほぼ確実」との見解を打ち出した。

 「ついに邪馬台国論争決着か」という雰囲気も高まったが、九州説の研究者を中心に、「纒向遺跡では、卑弥呼が頻繁に交流した中国の遺物がほとんど見つかっていない」と批判的な見方もあり、さらなる調査に期待がかかる。

 邪馬台国時代より半世紀ほど後の初期大和政権の大王墓とされる桜井茶臼山古墳(桜井市)でも、研究者を驚かせる発掘成果が出た。竪穴式石室の周囲に、被葬者の魂を守るためとみられる丸太をすき間なく並べた柱列跡が検出された。石室内には、重さ約200キロ分の国内最多の水銀朱が塗られていたことも判明し、被葬者の権力の大きさを見せつけた。

 一方、12万年前の旧石器が見つかった島根県出雲市の砂原遺跡の発掘では、捏造問題を教訓に、遺物の出土した地層の年代を丹念に調査。多くの旧石器研究者に発掘現場を公開することで、捏造の懸念を払拭(ふっしょく)することに努めた。調査団長の松藤和人・同志社大教授は「科学的に時期が分かる火山灰層が何層もあり、年代に問題はない。さまざまな角度から検証した」と強調した。

 兵庫県淡路市の垣内(かいと)遺跡では、弥生時代後期(2~3世紀)の全国最大規模の鍛冶工房跡が見つかった。九州北部で始まったとされる鉄器生産が瀬戸内海東部に広がっていたことを示し、政治の中心が九州北部から近畿に移る時期とも重なり、日本列島の国家形成過程をうかがわせる点で注目された。

 歴史教科書に登場する有名人物も、発掘調査で次々とクローズアップされた。奈良時代の寺院跡とされる京都府木津川市の馬場南遺跡では「越中守」と読める木簡が見つかり、万葉集を編纂(へんさん)した歌人で越中守を務めたこともある大伴家持と関連する可能性が浮上した。

 奈良市の西大寺旧境内からは、日本最古の公開図書館を設立した文人貴族、石上宅嗣の名前が記された木簡も見つかった。

 邪馬台国論争のほか、歴史上の偉人たちの名前が地中から掘り出されるなど、古代史をますます身近なものにする成果が上がった年でもあった。

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