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【from Editor】希望に燃える同級生(産経新聞)

 最後は「肩が抜けてしまった」という。1991年から巨人の打撃投手を務めていた高校時代の同級生・田子譲治が、昨年いっぱいでユニホームを脱いだ。

 81年夏、鳥取西のエースとして甲子園大会に出場し、1回戦の東奥義塾戦で内野安打1本だけの準完全試合。2回戦でも早実の荒木大輔(現ヤクルト投手コーチ)と互角の投げ合いを演じ、翌82年ロッテにドラフト2位で入団した。だが、プロ入り後は故障に泣かされ、90年に現役引退。肩、ひじの負担が少ない投球フォームに変えて裏方に転身したが、ついに「そのとき」を迎えた。

 46歳での失職。わが身に置き換えるとゾッとする。しかし、プロの世界で投げ続けた“鉄腕”のバイタリティーは半端ではなかった。周囲の心配をよそに、しっかり再就職に成功。先日、在京の同級生有志で「就職を祝う会」を開き、そこで再就職先のことを詳しく聞いた。

 とにかく、会社名のスケールが大きい。『ヌーベルジャポン エスペランサ』(新しい日本の希望)。過疎の村に東京から若い社員を送り込み、農業に熟練した高齢者と協力して農地の再開発と生産を行う。そして、とれた食材を加工販売、さらには農村体験観光なども企画して「農業を核にした社会事業」を展開する。当面、本人は首都圏での商品PRに従事するが、「夢のある会社だと思うんだ」と目を輝かせていた。

 退団直後には、球団関係者から大手メーカーの営業職を勧められたが、丁重に断っていた。ありがたい話だったが「なにかが違うような気がして…」。一から出直して今回の会社と巡り合い、「社会に貢献できる仕事にひかれたんだよ。田舎を元気にすることができるからね」と、いよいよ“第2の人生”へと踏み出す。

 実は、その「就職を祝う会」の幹事も、新たなスタートを切っていた。自民党を離党し、民主党に入った田村耕太郎参院議員。今夏の選挙では、選挙区から比例代表に闘いの場を移す。「決して楽な状況ではないよ」とはいうものの悲壮感はみじんもなく、日本の未来を熱く語っていた。

 プロ野球選手に国会議員-。ごく限られた人間しかなれない職業についた同級生が、それで満足することなく、新たな次元に向かって汗をかいている。自分は書くことくらいしか芸のない新聞記者だが、今後も彼らの奮闘ぶりを見守って刺激にしていきたい。(運動部長 山根俊明)

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